
絵葉書写真は震災の惨状を伝える重要な情報源として地方から救援に来た人々が地方へ持ち帰り、東京や横浜の震災の姿が全国へ伝わる情報伝達の役割を果たしました。今回利用したもののなかにも松江から東京へ出張した憲兵から大正12年 (1923年) 11月に送られたものと注記されたものも含まれています。
収集した絵葉書写真、その他の写真類を見渡して、わたしたちが当初期待した関東大震災の全体像を、写真を通して把握できると考えていたことが見当違いであったことがわかりました。それは、角度や視点を変えているにしても、写真が同じ対象物を写している例が多いということです。
したがって、地図に落としてもレイヤーは異なるもののほとんどが重なってしまいます。
それがまた、なんと江戸以来、あるいは帝都東京の名所とされたところと重なることです。
名所 (などころ) を写す絵葉書写真が大衆の購買欲をそそる商品であるためにはこれは必要条件ですが、問題は災害のイメージもこうしたものを通して作られ、固定化されるという点です。話題性のあるものの変わり果てた姿は、震災以前の姿と二重写しになって人々に震災の凄惨さを強く印象付けることになったのでしょう。
(北原 糸子)