
関東大震災関連の動画
1. 火災延焼動態図
火災延焼動態図 (Flashによる動画)この動画は、関東大震災の東京市の火災の拡がる様子を表しています。
この動画の基は震災直後震災予防調査会中村清二によって作成された火災延焼動態図です。
中村清二は、東京帝国大学理学部物理、天文学科の学生有志36名の聞き取り調査の結果や生命保険会社調査などその他の資料を基に火災延焼動態図を作成しました。
この延焼動態図の内容は、1日地震発生直後の13時から46時間の間、出火した地点や飛火の場所が記入されており、そこから火災がどのように燃え広がっていったのかという火災の動きや、時間ごとの変化が示されています。
この図に表現されている内容は以下のものです。
| 火災線 | 延焼の進んだ方向を表す線 |
|---|---|
| 等時線 | 延焼の進んだ方向に、時刻別に延焼到達線を結んだ線 |
| 出火点 | 出火した地点 |
| 飛火点 | 飛火による出火地点 |
| 焼け止まり線 | 延焼が止まった場所 |
動画で拡大の動きは、ある地点の火災の進む速さ(延焼速度)を示しており、最大は深川区木場町の1日19時から20時で820m/hにも上っています。
このときの麹町気象台の風向と風速は、西から西北西で19時に13.1m/s、20時には18.1m/sという強風がふいていました。
関東大震災でこれほど早い延焼速度となった理由の一つは、当時の気象条件にあります。
9月1日に台風並の低気圧が日本海側に発達しながら太平洋に抜けています。そのため風向は、地震発生直後1日昼過ぎに南風、夕方には西風になり、夜は北風、2日朝からは再び南風とめまぐるしく変わっています。
風速についても最大22m/sと台風並み強さを記録し、これらが、東京市を焼失させ多くの死者を発生させた一因ともなったのです。
(西田 幸夫)
2. 築地本願寺
工事中この動画は、本願寺築地別院による震災記録の映像 (サイレント) です。
600フィート (183m)、709フィート (216.2m)、552フィート (168.3m) の3本のフィルムに収められた震災救済事業に関わる貴重な記録です。
築地本願寺は9月1日午後7時ごろから10時にかけて、宝蔵と太子堂を残して、そのほとんどを焼失しました。
京都本山では直ちに救護本部が設置され、9月4日は築地本願寺の焼跡に臨時救済事務所が設けられ、救護活動を開始しています。
映画布教班が9月11日〜23日間に掛けて組織され、フィルムは全国33県110会所で公開されたということです (『新修 築地別院史』本願寺別院、1985年)。
これは、築地本願寺のご好意、中央区教育委員会のご助力によって、ここに掲載させていただきました。
内容は以下の項目にわたっています。
第1巻
- 「悲惨を極める罹災者の生活状況」
皇居外苑、二重橋、坂下門、桜田門、日比谷公園などに避難している人々の様子 - 「本願寺救護班の活動状況」
日比谷公園内の築地本願寺救護班テント、上野公園の無料理髪所、京都市の救護班 - 「東京における京都市救護班の活動情況」
京都市救護班テント、品川埠頭の義損物資陸揚げと運搬、神田橋復旧工事、江戸城石垣修復工事
- 「大地は裂け家屋は破壊され帝都は大混乱の巷となった」
地割れ、木造家屋の破壊状況、損壊した東京會舘、路上避難民 - 「此時80余カ所より火一時に発し恐ろしい魔の火は見る見る八方にひろがり東京全市はうづまく火の海と化した」
-
「丸の内 有楽町近傍」
震災直後路上に避難した人々、炎上する家屋、塀、東京駅前 -
「本町 本石町方面」
新常盤橋 - 「神田 日本橋方面」
- 「浅草 下谷方面」
- 浅草日の丸タビの看板、火が迫る様子、避難する群衆、浅草の商店街の遠方の凌雲閣、大八車で荷物を運ぶ人々
-
「十二階と雷門 広小路」
壊れた十二階の最上階とその下の階の様子、芝居小屋、避難する人々、煙に巻かれる人、電車通りの人々 -
「本所 深川方面」
電車通り、隅田川、炎上する家屋 -
「にげても にげても追ふて来る火に からだ一つの置場に苦しんで居る避難者」
上野駅、電車通りの人の波、上野広小路、公園に避難する人々、日暮里駅?
(本願寺行啓の貞明皇后) 深川託児所,築地本願寺託児所,深川仏教少年団,築地本願寺立日比谷幼稚園,九条武子,復興の気漲り渡る帝都,ありし日の栄光よ。それは・・・,落日赤き焦土のうえにオー頼もしきこの力(了)
(北原 糸子)